ガンダムかっこわるい。
初めてトイザらスとやらに行ってみた。
幼なじみの友人の子供に連れられて勢いで入ったのだ。
そのとき手を繋いだ3歳児から発された言葉は、
「ガンダムかっこわるいね」 だった。
その子供は電車が大好きで、まっしぐらにプラレールコーナーに行きたかったのだが、ロボット好きの自分としては、ガンダムプラモデルを一緒に見ようと引き留めてしまった。そのとき口にしたのがこの言葉だ。
確かにガンダムは格好悪いのかもしれない。
遠くから見るともっこりタイツに赤いクツの王子様のように見えるのは否定できない。だがそんなことはどうでもいい。面白いのは「なぜ格好良いと思うのか。なぜ格好悪いと思うのか」という部分だ。実に興味深い。
結論から言うと、生まれてから見聞きした事柄が積み重なって、格好が良い、悪いの基準が生まれるのだ。
ある芸能人をみてカッコイイと黄色い声を上げるのも、ダサイとディスってしまうのも、育ってきた環境で育まれた価値基準が元になっている。
人間の価値基準を形作っている中でもっとも影響力があるのはおそらく広告だろう。ありとあらゆるメディアに広告は浸透している。
ガンダムなんて、アニメ番組がガンダム商品を売るための広告そのものだ。
物心ついた頃からテレビでガンダムが歌と共に連呼されまくり、近所のお兄ちゃん達がガンプラを自慢し合っているのを羨ましく思い、少ないお年玉でプラモデルをせっせと買い、大人になったら実物大のガンダムをお台場まで見に行く。わざわざガンダムが見えるお台場のホテルを予約してまでだ。まさに広告によって「GUNDAMカッコイイー!」が構築されてしまったガンダムおじさんだ。
いまは電車が大好きな友人の息子3歳も、今後どんな情報を吸収して、将来は何を見てカッコイイ−!と判断してしまうのか楽しみだ。
格好が良い悪いに限らず、自分が何を元にして判断しているか改めて考え直してみたいと思う。
しかも広告を作っている人間ならなおさらだろう。